どこを狙うか、なんてのは議論以前だと思う。どちらにも意味のあるものを取り上げればいいのだ。そうでなければ、それぞれに活躍の場があるように組み立てればいいのだ。例えば国旗を見て、直感派は十字架に気付くだろうし、発想派は地域的な共通点に気付くだろう。知識派はキリスト教を思い浮かべるだろう。それらを統合した全体の学びに進める。それが集団で学ぶ意味だ。一人一人が孤立して学んでいるわけではない。そこに気付かない懇談会を百万回やっても意味なし。