実は同僚よりも何よりも、“ゆい”で接する先生の方が付き合いが長い。とくに高校では異動もあり、自分もこの町で2つ目の職場である。この9年間ずーっと同じ形で接しているのはおそらく“ゆい”の仲間だけであろう。長い目で見られる場だ、ということである。駆け出しであった頃から時を待ち、適切な時期に適切な課題を与えてもらった気がする。K先生も黙々とやってこられたんだろうと思う。適切な時期に適切な課題、本当にそうかはわからないが、その意図を感じ取れるほどには成長した、ということだろう。