やはり自分の中に、物事をシンプルに、善悪二元論で解釈し、それにカタルシスを感じる自分がいる。それは自己の快不快から来るものなのだろう。となれば幼児性とも言いうる。複雑なものは複雑なまま、単純なものは単純に。安楽の揺籃に眠るなら眠れ。だがそれならば成長はない。