原因探しは結局責任のなすりつけ合いであり、責任の回避である。「○○のせい」というのは容易いが、それは自分を安全なところに置いたまま無責任な批判をしているだけ、と同義であることが多い。その意味で、枝葉末節ではなくもっと根本的な話を、というのは正しい。夢想を100万回繰り返しても、目の前の問題は何も解決しないのだ(夢を否定しているわけではない)。まず、目の前のことに全力で取り掛かろう。確かにほかの誰かのせいかもしれない。だが、文句を言っている暇はないのだ。それも込みで取り組むしかないのだ。誰かが足を引っ張るなら、それ以上の力で前へ進めばいいのだ。それだけのことなのだ。