今話題のモリゾーとキッコロの顔について。
開幕前、宣伝のため空港に出没したというニュースを見ていて、「名前何だっけ、あの怖いヤツ」という会話が周囲から聞こえたこともある。正直、小さな子供なら泣いてしまうのでは、宣伝にならずかえって逆効果では、と本気で思ったものである。

で、あの顔を見ると、確かに人間に対する不信感があるのかもしれないと思う。モリゾーキッコロにも常々それを語っていたのだが、キッコロの天真爛漫さにモリゾーじいさんの方が心開いていく、という背景があるらしい。面倒なのでソースは省く。モリゾーじいさんを怒らせたのはいったい何だったのだろう。

以下勝手な推測。そこにはキッコロの両親が関わっているに違いない。ギルガメシュ叙事詩を引くまでもなく、人間は森の神を殺してきた。おそらくキッコロの父親、母親をも。遺児となったキッコロを引き取って育てたのがモリゾーなのだろう。

モリゾーのあの目がこちらをじっと見たとき、我々は自らを恥じ、そっと目を伏せなければいけないのだ。キッコロがあの、痛々しいまでに好奇心に満ちた澄んだ目で遊んでいる姿を見て、取り返しのつかない事実に言葉を失い、おののくしかないのだ。万博なんぞやっている場合ではないのだ、という思いと、ここから我々は問われ続けるのだという思いが交錯する。