昨日情報関係の研修会があった。来てくださったのは静岡大学情報学部情報社会学科堀田研究室堀田龍也先生(当日の日記)。そこでいろいろ考えた。

自分自身はコンピュータが大好きな人間である。だが、パソコンを使った授業をしようとはあまり思わない。研修の時間中もずーっと考えていたのだが、「コンピュータを使った授業をしよう、しなくては」という発想自体が誤っているのではないか。

コンピュータはあくまで道具でしかない。授業の中で言えば例えそこで示されるコンテンツがどんなにすごいものであろうと「教材提示装置の一種」に過ぎないのだ。ビジュアル的に提示することの重要性は常々感じているし、自分もそれを実践してきた。だが、それをコンピュータで「やらなくてはいけない」的な発想には疑問を感じる。

まず重要なのは授業の内容であるはずである。つまり、どのような教材を提示し、どのように考えさせ、どのように深めさせるか、である。そしてその内容に応じて最適な教材の提示方法を選択するのである。そして、今までに扱ってきた教材内容から考えて、コンピュータを使わなければどうしても困る、という教材はほとんどない。従って、必ずしもコンピュータを使う必然性を感じないのだ。自分が感じていた違和感はStudentCenteredであるべき授業にComputerCenteredの発想が入ってくることに起因していたと思う。もちろん堀田先生はそれが専門であり、推進するのが仕事である。のでそこに文句は言わない。ただ、学校が「コンピュータを使わなくては」的に根拠もなく浮き足立っていると感じるのだ。学力向上フロンティアとしての授業改善(あくまで全日)、ということを考えるのであれば、その前にコンピュータを使えば学力が向上するという担保が必要ではないか。堀田先生は「そんなこと言ってないでとりあえず使ってみたら」と言うだろう。その通りなのだ。だが、それではStudentCenteredでなくComputerCenteredだと言えるだろう。個人的にやるのは構わない。だが学校をあげて生徒を実験台にしてまですることなのだろうか。自分の経験からはそうは思えない。

自分もパワーポイントを使って授業をしたことはある。だがどうにも内容が上滑りしている感は否めない。「生徒の半数は手書きの方が、書いている間に考えることができてよかった」という生徒の反応が全てを物語るのではないだろうか。授業とプレゼンテーションは違うのだ、ということではないだろうか。